昭和100年の空に、令和の生成AIは夢を見るのでしょうか

カレンダーの数字がまた一つ進み、あの長く暑かった夏から80年の歳月が流れました。遠い日の記憶として語られる「戦後」は、今や歴史の一コマとなり、昭和という時代もまた、100年という大きな節目を迎えようとしています。私の祖父母が焼け跡の匂いと空腹を肌で感じた時代から、私たちは一体どれほど遠くまで来たのでしょうか。

昭和の後期、私たちが子供だった頃、世界はまだ手触りのあるものでした。情報は自ら本をめくり、人に会い、足で稼いで手に入れるもの。夜になれば黒電話が静まり、家族の団欒がありました。そんな時代に、「インターネット」という魔法の言葉が産声をあげました。ピー、ガーという電子音の向こうに、文字だけの簡素な世界が広がっている。それは一部の専門家や好事家のための、もう一つの「書斎」のようなものでした。情報を得るのに時間と手間がかかる、もどかしいけれど、一つ一つの言葉を大切に拾い上げた時代でした。

平成の30年間で、世界は一変します。書斎にあった魔法は、あっという間にすべての人の手のひらに収まりました。一家に一台だった電話は一人一台のスマートフォンとなり、情報の奔流は24時間私たちを飲み込みました。世界中の出来事が瞬時に届き、名も知らぬ誰かと簡単につながれる。なんと豊かで便利な時代だろうかと、私たちはその光に目を細めました。コミュニケーションの形は劇的に変わり、誰もが発信者になれる時代。それは平成という時代の、輝かしい全盛期でした。

しかし、その光が強ければ強いほど、影もまた濃くなることを私たちは知ります。洪水のような情報の中で、真実と嘘を見分ける羅針盤を失い、アルゴリズムが作り出す心地よい「泡」の中で、自分と違う意見はいつしか遠ざけられるようになりました。画面の向こうの誰かを、血の通った人間としてではなく、単なる「意見の記号」として見てしまう冷たさ。かつて昭和の時代に、国家という大きな物語が人々を一つの方向に駆り立て、取り返しのつかない悲劇を生んだように、今、見えない情報の大波が、静かに私たちを分断していく。道具は変われど、人の心の危うさは、何も変わっていないのかもしれません。

そして令和。私たちは新たな隣人、「生成AI」と出会いました。問いかければ、たちどころに詩を作り、絵を描き、プログラムを組む。それはまるで、人類が手にした新しい知能のようです。昭和の人々が瓦礫の中から自分の手で未来を築き上げたとするならば、令和を生きる私たちは、プロンプト一つで無限の世界を生成できる力を手にしようとしています。

戦後80年。私たちは、銃後の暮らしも、空襲の恐怖も、教科書でしか知りません。しかし、祖父母たちが命をかけて守り、築き上げたこの平和の意味を、私たちは考え続けなければなりません。

生成AIがどれほど進化しても、戦争や震災で焼け跡に立った時の絶望も、一つのおにぎりを分かち合った温もりも、データとして理解はできても、実感することはできないでしょう。その「実感」こそが、私たち人間が手放してはならない最後の砦なのだと思います。

便利さの追求の果てに、私たちは何を失い、何を得たのか。昭和、平成、そして令和へ。テクノロジーの進化は、私たちを幸せにするための道具であったはずです。その道具に心を喰われ、誰かを傷つけるための刃にしてはならないです。

昭和100年の空は、80年前と同じように青く広がっています。この空の下で、私たちはAIという強力な道具を手に、分断ではなく対話を、憎しみではなく理解をこそ「生成」していく責任がある。それこそが、激動の昭和を生き抜いた人々から受け継がないといけないのではないでしょうか。